通常タブーとされる死について家族内で話すことはなかなかないでしょう。
それが比較的話しやすいのは、「お正月」と「誕生日」です。
おめでたい日ですが、一歩死に近づいた日です。
・なぜ死について話すべきなのか
1.終末期の医療について自分や家族が困らないように
終末期の医療は生への渇望と、倦怠感や疼痛からの逃避と、家族の不覚悟、エゴが混ざり合います。
自分では不要と思っていた終末期の延命治療などをすることになったり、
子供は親の死ぬタイミングを自ら決めるというストレスに晒されることになります。
子供がとった選択肢について、他の親戚がクレームをつけることもあります。
事前に話し合って、自分がこうしたいという意思があれば皆ハッピーです。
本人がそうしたいと言っているといえば、だれも文句は言えません。
2.死について話すとよりよく生きることが出来る
死を意識すれば、よりよく生きようというモチベーションになります。
数週間前に死を意識している人の活動は死を意識していない人の活動よりよりいいという研究結果が出ていたようです。
子供、家族は死を意識すれば早めの親孝行ができます。
仕事や家庭が忙しいと言って、親孝行のタイミングを逃す、そんなこともあります。
・何について話すのか
1.食べることが出来なくなった時の医療について
「自分でめしが食えんくなったときにどがんすんね?」
老衰で食べられない、病気で食べられない、認知症で拒食になるなど、人の多くは死ぬ前に食べることが出来なくなっていきます。
その時に、点滴や胃ろう(胃ろうは制度上できなくなりつつありますが、、、)、経鼻栄養などをするのか。
食べることが出来る範疇でいくのか。
2.予防や侵襲的な検査、治療について
「きったりはったり、まだすんね?」
年齢が上がるにつれて、予防的な検査のメリットが低下していきます。
50歳で早期の大腸がんが見つかれば、運命は10年20年変わるでしょう。
しかし、80歳で大腸がんが見つかっても、運命は10年20年変わらないでしょう。
その他の病気や治療に耐えることが出来ないからです。
(*年齢で決めつけず、本人の体力を考えるべきですが疫学的に分かりやすい例としました)
病気や死は思ったより身近にあります。
30歳で大腸がんや甲状腺がん
50歳で脳梗塞で食事が不可能になる
60歳でくも膜下出血で反応がなくなる
一方、90歳超えても元気な方もおられます。
人は強く、弱いものです。
是非、今年のお正月には、今年の抱負に、死について一言を加えてくださいね。
記載:江口仁